大阪高等裁判所 昭和26年(う)2976号 判決 1953年11月17日
控訴人 検察官 岡正毅
被告人 堀優 外一二名
被告人 堀優 外一五名 弁護人 能勢克男 外二名
検察官 高橋雅男
主文
本件各控訴はいずれもこれを棄却する。
理由
検察官の本件控訴の趣意は京都地方検察庁検事正代理次席検事岡正毅提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する津田孝蔵、荒木貞夫、永田重蔵を除く爾余の各被告人の答弁は同人等の弁護人能勢克男、小林為太郎共同提出の答弁書及び被告人堀優の弁護人前堀政幸提出の答弁書各記載のとおりであり、津田孝蔵、荒木貞夫、永田重蔵を除く爾余の各被告人の本件控訴の趣意は同人等の弁護人能勢克男、小林為太郎共同提出の控訴趣意書及び被告人堀優の弁護人前堀政幸提出の控訴趣意書各記載のとおりであつて右各控訴趣意書及び答弁書はいずれも本件記載に編綴してあるからいずれもここにこれを引用する。
検察官の論旨について、
先ず論旨第三項において主張する所論京都市公安条例を違憲と判断した原判決は誤りであるかどうかを検討するに昭和二十五年十一月二十一日京都市条例第六十二号、集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に条例と略称する)第一条は「道路その他公共の場所で集会若しくは集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問はず集団示威運動を行おうとするときは、公安委員会の許可を受けなければならない。但し、次の各号に該当するような公共の安寧秩序を維持する上に直接危険を及ぼさないことの明らかに認められる場合はこの限りでない。一、学生、生徒その他の遠足、修学旅行、体育、競技、二、通常の冠婚、葬祭等慣例による行事」と規定しておるのである。ところで右条例前文の掲げるところに照せば本条例制定の趣旨の当時の京都市方面における社会情勢に応じ占領政策に違反する行為又は社会不安をじよう成する行為を未然に防止しようとするにあつたことは明白であつてこの制定趣旨に基いて前示第一条を解釈すれば第一条第一号第二号は例示的と解すべきでその他一般に公共の安寧秩序を維持する上に直接危険を及ぼさないことの明らかに認められる集会、集団行進及び集団示威運動は何等の制限なくすべて自由にこれを行うことができるがそうでないもの即ち公共の安寧秩序に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合は云うまでもなくその危険を及ぼす虞ある場合にかぎり公安委員会の許可を受けなければならないとするものと云うべきである。そしてその許可についても条例第三条第一項本文は「公安委員会は集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない」旨を定め同但書は、「次の各号に関し必要な条件をつけることができる、一、官公庁の事務の妨害防止に関すること、二、じゆう器、きよう器、その他の危険物携帯の制限等危険防止に関すること、三、交通秩序維持に関すること、四、集会、集団行進又は集団示威運動の秩序保持に関すること、五、夜間の静ひつ保持に関すること、六、公共の秩序又は公衆の衛生を保持するためやむを得ない場合の進路場所又は日時の変更に関すること」と規定する。以上の外更に許可の取消又は条件変更に関する同条第三項その他条例第六条第七条の各規定等を彼此合せ考えると右条例は集会、集団行進及び集団示威運動等の表現の自由を一般原則的に否定禁止しておいて、公安委員会の許可によつてこれを解除して自由に行う権利を得せしめるというのでなく、みだりに表現の自由に干渉せずこれを制限しないことを前提とし、ただ公共の安寧秩序を保持する建前から公安委員会の許可を受けるべき場合を定め、しかも公共福祉を保護する上において必要且つやむを得ないと認められる場合でなければ許可の申請を不許可とし又は許可を取消すことができず只許可に条件をつけ又はその条件を変更することができないものとなし以て右表現の自由に公共の福祉のため必要且つやむを得ない最少限度における制限を附したに過ぎないものと解するのを相当とする。そして憲法第二十一条の保障する表現の自由と雖も公共の福祉のため必要且つやむを得ない範囲において制限を受けることは同法第十二条第十三条に徴し明白であるから叙上説明するところにより右条例が憲法に違反する事項を規定し違憲のものであるとは到底みることができない。公安委員会の許可にかからしめることを目して取締の便宜に重点をおき表現の自由を不当に制限しているものとなす原判決の見解には左袒し得ない。従つて原判決のなしたこの点に関する判断は誤りであり右条例を合憲とする検察官の所論は正当と云わなければならないのである。
だがしかし次に各被告人に対する量刑を記録に就き調査すると各被告人は本件円山公園における集会関係の首謀者乃至指導的地位にあつた者とは認め難く又被告人等のそれぞれの犯行は計画的の意図に基いたものでなく群集心理に駆られ或はその場の情勢に刺激せられた結果突発的に行われた偶然性の事犯とみるのを相当とし、これ等本件各犯罪の態様、罪質、犯行当時の状況その他記録に現われた各被告人に関する一切の事情に照すときは、叙上の如く前示条例が合憲であるとし更に論旨第一、二項等に論ずるところを考慮に容れ勘案してみても各被告人に対する原判決の刑の量定が未だ必ずしも軽きに失するものと認めることはできないのである。さすれば結局原判決の量刑不当を主張する本論旨は結論において理由がないことに帰し採用し難い。
弁護人前堀政幸の論旨<省略>
よつて刑事訴訟法第三百九十六条に従い主文のとおり判決をする。
(裁判長判事 吉田正雄 判事 松村寿伝夫 判事 大西和夫)
検察官岡正毅の控訴趣意書
本件控訴の趣意は刑事訴訟法第三百八十一条に所謂刑の量定が不当である事を理由とするものであつて、即ち原審判決は検察官の起訴した事実を証拠により認定し乍ら(但し被告人堀優、八田喜代蔵に就いては公務執行妨害のみ認定)その量刑に当り「被告人堀優を懲役三月、同林哲男を懲役五月、同津田孝蔵を懲役三月、同岡崎和吉を懲役四月、同荒木貞夫を懲役二月、同村元恒生を懲役四月、同榎並公雄を懲役四月、同居川道明を懲役四月、同竹中道男を懲役三月、同山村国夫を懲役三月、同中村淳一を懲役五月、同岩本正一を懲役五月、同八田喜代蔵を懲役二月、同種田正一を懲役三月、同永田重蔵を懲役四月、同李樹世を懲役三月に夫々処する。但し被告人八田喜代蔵を除く其の余の被告人等に対しては何れも本裁判確定の日から一年間右各刑の執行を猶予する。」旨の判決を言渡したのであつて、右の量刑は本犯罪の特異性に鑑み著しく軽きに失する不当の判決と謂わざるを得ないのである。
第一、最近の国内情勢と集団暴力事犯の頻発の傾向 終戦以来復雑なる国際情勢の反映と国内に於ける思想的混乱に因り全国的に破壊的デモや罷業怠業が相次いで発生し、本来経済斗争であるべき労働争議は勿論、平和運動、文化運動から学生運動に至る迄が政治斗争的色彩を帯び、さながら階級斗争化して専ら実力に依つて自己の主張を貫徹しようとする動向が現はれ一方一連の過激分子はこの情勢に乗じ一般大衆を駆り立て暴力の行使に依つて国内治安の攪乱を策せんとする意圖を示しかくして全国各地に実力斗争的思想が漲り集団暴力事犯の頻発する傾向が見られるに至つたのである。茲に於て此種反民主主義的行動を未然に防ぎ、治安の確保に萬全の措置を構ずる為、昭和二十三年七月三十一日大阪市が公安条例(旧条例)を制定したのを最初とし、その後同年十月五日同市に新公安条例が制定され、引続いて全国各地に所謂公安条例(正しくは「行進及び集団示威運動に関する条例等」と言う、以下公安条例と略称す)の制定を見るに至つたのである。我が京都市に於ても此の情勢に対応し昭和二十四年六月一日公安条例を制定したがその後の情勢の悪化に伴い更に治安の維持の必要から同二十五年十一月二十一日その一部を改正し現行公安条例が生れたのである。しかし乍らその後の国内情勢は朝鮮事変の勃発や国際情勢の緊迫化に伴い集団暴力事犯は依然跡を絶たず却て其数の増加と質の悪化を示して来て最近に至つては国内の治安上憂慮すべき種々の事態をも醸し出すに至つている。斯る情勢を前にして此種の集団暴力事犯を考へるとき到底之を軽視することの出来ないことは言を俟たないところである。
第二、集団暴力事犯としての本件の情状(イ)本件は昭和二十五年中京阪地方に続出した一連の同種事犯の頂点を為す事件である。本件発生当時の京阪地方に於ける客観的情勢は電産、報道、日通及び各種私企業の分野に於ける破壊分子の追放と、相次ぐ企業整理の結果、レツドパーヂ並びに人員整理反対の気運は濃厚となり一方徴税強化の政策は反税斗争を駆り立て、完全就労を要求する一部自由労働者や或は急進的学生等が之に便乗し、京阪地方に於ける治安は頓に急迫を告げ実力斗争は頻発し、集団を背景としての住居侵入、公務執行妨害、其の他の暴力事犯が屡々惹起されて法廷に審判を受ける者が続出したのである。かかる情勢を背景として然かも此種一連の事件の頂点として発生したのが本件であつて、他と関連性のない単純な一般暴力事犯とは到底同一視することが出来ない性質の案件である。(ロ)本件は予め計画的に敢行された非合法集会の際の越軌行動である。即ち本件は円山公園に於ける全官公職員組合京都地方協議会主催の越年総蹶起大会開催の強行を計つたことに端を発したのであるが、右大会は京都市公安委員会に於て公安に有害であるとの認定の下に昭和二十五年十二月七日午前九時四十分頃開催不許可の決定がなされたのである(守屋孝蔵の原審公判廷に於ける供述記録第二八〇丁乃至同丁裏参照。)その後京都市警に於てはあらゆる手段で右決定の周知徹底を圖つているので右大会の開催が不許可になつた事実は少くとも右大会を強行しようとした被告人等に徹底されたことは明白である(濱本孝作並に小山孝雄の原審公判廷に於ける供述、記録第二九三丁、第三〇九丁裏乃至三一〇丁裏、第三一一丁、第三一二丁裏、並びに被告人居川道明、同種田正一、同李樹世の司法警察員乃至検察官に対する供述記録第一六六三丁乃至第一六六四丁、第一七二八丁裏、第一七三六丁、第一七五七丁参照)。しかるに被告人等は敢て円山公園に於て越年総蹶起大会開催を強行しようとしたので(守屋孝蔵、浜本孝作、小山孝雄の原審公判廷に於ける各供述記録第二八六丁乃至第二八七丁、第二九三丁裏乃至第二九四丁、第三〇五丁乃至同丁裏参照)、警察職員がその当然の処置として実力開催を阻止しようとしたところ被告人等は不法にも反撃行動に出てそれが為に本件の如き不詳事が惹起されるに至つたのである。この点から観て本件犯行は右大会開催を名目に唯官憲と実力斗争をする為に計画的に為されたものと断ずるも敢て過言ではないと思う。故に本件犯行に関しては先ずその発生の事情原因に於て何等酌むべき点を見出し得ないのである。(ハ)被告人等の行動は積極的であり挑発的であつた。次に本件犯行の態様を見るに被告人堀、榎並、津田等は警察職員が制止乃至逮捕に着手した際之に対し積極的に暴行を加え(込山一郎、吉岡真雄治、市場政則の原審公判廷に於ける各供述記録第六〇八丁裏、第六一五丁裏、第八五一丁、第七一六丁参照)被告人林、竹中、岡崎、村元、居川、山村、中村、岩本、八田、種田、永田、李等は何等の原因なしに警察職員に対し突然反抗的に暴行を働き(新常造、伊藤他人太、佐々木英志、沢井清、村田俊蔵、水山清、市田勲、蒲田義一、中村定吉、荊木清之、北勝次郎、出原秋夫、山本質造、中谷幸雄の原審公判廷に於ける各供述並に浅野国太郎の検察官に対する供述、記録第六四八丁、第六七〇丁、第六九五丁、第四〇一丁裏、第四〇三丁、第三八八丁、第八三八丁、第八三〇丁裏乃至第八三一丁、第四九八丁、第五一二丁、第五一五丁、第五一六丁、第五四七丁乃至同丁裏、第五五五丁乃至同丁裏、第三七二丁、第三八一丁、第四五四丁乃至同丁裏、第二三九丁参照)又被告人荒木の場合は逮捕中の犯人を奪還しようと企てて居り(伊藤他人太の原審公判廷に於ける供述、記録第六七三丁裏、第六八一丁参照)その孰れを見ても被告人等の犯行は積極的乃至挑発的、反抗的な態度を以て警察職員に暴行を加えたもので、故ら官憲と事を構えることのみを企図した点が看取される。
(ニ)本件犯行右被告人等は何等自省の態度を示していない。被告人等は原審公判廷に於て只管自己の犯行を否認し事実を枉げて強弁し、剰え官憲の取締の不当を叫び自己の行動については毫も反省の色を見せていないのである(原審公判廷に於ける各被告人の供述)、これ等の点から考えるときその道義的精神の欠如の故に将来同種事犯を反覆する可能性も多分に懸念せられ、社会防衛の見地からも軽視することが出来ないので、被告人等に充分なる自省の機会を与える意味に於て厳重な処罰を以て臨む必要があると謂わねばならない。
(ホ)此種事件の模倣性、伝播性を考慮するとき一般警戒の必要が大いにある。現在の如く戦後の社会不安が未だ解消せず人心の動揺も容易におさまらない国内情勢の下に於ては本件の様な暴力的、斗争的直接行動は思慮の定まらない人々によつて自己の主張貫徹の方便として用いられ易く或は此種行動に出る者を一種の英雄視する風潮がある等その模倣性伝播性というものを決して軽視することは出来ない。然かも此種傾向が広く模倣或は伝播された場合には治安上由々しき大事に立至ることは容易に想像し得るところである。従て本件の如き特殊の事犯に対し原審判決の如く極めて軽き重刑を以て臨むとすれば法の威信が損われ延て同種事犯が一層頻発する情勢となることは必然である。かかる意味に於て刑事政策上社会に対する一般警戒の点から言つても厳重な処罰が要求されるのである。
第三、本件量刑が軽きに失したのは原審裁判所が京都市公安条例を違憲と判断したことに基因するものと考えられるが右違憲の判断は誤りである。即ち原審裁判所の見解によれば「自由の限界を逸脱する不法集会等を未然に防止する為に仮に許可制を採ることが憲法上許されるとしても、要許可の対象は公共の安寧福祉に脅威を及ぼし尚占領下に於ては占領政策に反する行為に発展する虞れある最少特定の範囲の集会、行進、集団示威運動に限定さるべき」ではあるが京都市公安条例の場合は「一般的制限に近き程度に広汎に集会、集団行進、集団示威運動を取締りの対象に置いて」ゐるものと認め假令右条項但書に例外規定があるとしても、右但書各号の規定の性質から考え右例外規定は「政治的色彩なく社会通念上寧ろ表現の自由としての行進又は集団示威運動の観念中に含まれないものと見るのが相当であるような特殊例外」の場合と論断し、右条例は公共の福祉の見地から見て最少特定の範囲の限界を逸脱して居るし「明かに取締りの便宣に重点を置き憲法の保障する国民の集会等表現の自由を不当に制限してゐる」からとの理由で同条例は違憲の条例であると判断してゐるのである。依つてこの点を考察するに同条例第一条は総ての集会、集団行進、集団示威運動を公安委員会の許可の対象としているのではなく集会、集団行進の場合は道路等の公共の場所におけるものに限り一方集団示威運動は場所の制限こそないがやはり直接公共の安寧秩序に危険を及ぼす可能性を持つものに限つて居りいずれも特定範囲のものを対象としているのである。蓋し公共の場所と謂うものはその性質上公共の福祉と密接な関係があり、かかる場所に於ける集会、集団行進は一概に公共の福祉に反するとは言えないのは当然であるが唯その危険性が多分に懸念される訳で一方集団示威運動も勿論総てが反社会的のものとは断定出来ないが前述の様な現在の客観的情勢の下に於てはこの示威運動中に暴力や威嚇等が行使され公共の福祉に反する場合の起ることが豫想されるのである。故に以上の様な場合に限り制限することは正に最少限度に必要な特定的制限と謂わねばならない。しかも右条例第一条但書に依れば「次の各号に該当するような公共の安寧秩序を維持する上に直接危険を及ぼさないことの明らかに認められる場合」は許可は不要とし、許可を要する場合を現在の一般の治安情勢下に於いて、社会の秩序維持その他公共の福祉の見地から見てまことに止むを得ないものと認められる場合だけに限つているのである。この点原審判決は第一条但書各号の規定の性質を根拠として右第一条は一般的制限に近い広範囲の制限だと考えているが、この但書各号の規定は但書本文中の「次の各号に該当する様な云云」の規定に対応するもので右条例第一条を具体的に適用する場合の単なる一例を示したに過ぎないのである。故にこの各号の規定を以て第一条自体を解釈する事は正に本末顛倒と謂わねばならない。以上の外右条例第三条は「公安委員会の前条の規定による申請があつたときは、集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外はこれを許可しなければならない」と規定して公共の福祉に反しないものは何等制限禁止されるものではないことを明らかにし以て不許可権の濫用を防止し、不許可の場合を必要の最少限度に止め許可を原則としている事実を看過してはならない。更に右条例の前文には「勿論日本国憲法の定めるところによる集会をなし又は行進を行う等の国民的権利をいたずらに制限し或は否定するものではない」と規定し一方同条例第六条に「この条例の各規定は第一条に定めた集会、集団行進又は集団示威運動以外に集会等を行う権利を禁止し若しくは制限し、又は集会政治運動を監督し若しくはプラカード出版物その他の文書図画を検閲する権限を公安委員会警察職員又はその他の市の職員に与えるものと解釈してはならない」として第一条乃至第三条の適用に当つては基本的人権を徒らに制限禁止することのない様に特に注意を払つているのである。以上の様に解釈すればどの点に於ても京都市公安条例が違憲であると謂う根拠は存しないことが判るのみならず却つて右条例は憲法の要請する公共の福祉に関する限界を明確にし憲法の趣旨を擁護した立法とさえ見られるのである(昭和二十五年六月二十九日法意一発第六十二号に基く警視総監宛法制意見第一局長回答、大石義雄教授論文国家地方警察京都府本部発行に係る雑誌「平安」第二十六頁乃至第三十頁参照)しかるに原審裁判所は上記の様な誤つた判断を基礎にして本件事案を観察したものであることは判決文自体から明らかでその結果が量刑に影響したことも亦条理上容易に推測出来るのであつてこの点は特に上級審の公正な判断を求めたいところである。
以上論述したところを要約すれば原審裁判所は集団暴力事犯の現下に於ける重大性とその社会的影響を看過し本件犯行の動機態様の悪質性を軽視し、更に本来合憲である京都市公安条例を違憲と判断した結果極めて軽い量刑を導き出すに至つたものと謂うことになるのである。仍て刑事訴訟法第三百八十一条第三百九十七条に基き更に適正な科刑を求める為に本件控訴に及んだ次第である。
(弁護人の控訴趣意及び答弁省略)